作者 世阿弥
実盛の討死した約200年後、篠原で布教をしていた遊行上人が、白髪の老人が現れ、十念を授けたという出来事があり、その老人こそ実盛の霊だと噂になった。それを聞いた世阿弥が、能の仕立てたといわれている。
時 室町初期 八月
場所 加賀國 篠原
寿永二年、倶利伽羅の戦い(源平合戦:源(木曽)義仲率いる源軍と平維盛率いる平家軍の戦い)で大敗した平家軍が陣を立て直し、源(木曽)義仲との決戦(篠原の合戦)を図った場所。 源(木曽)義仲は、源の頼朝、義経の従兄弟。
題材 『平家物語』巻七
・登場人物
役 | 能 面 | 装 束 | |
前シテ | 老人 | 三光尉 | |
後シテ | 斎藤別当実盛の霊 | ||
ワキ | 僧(他阿弥上人) | ||
ワキヅレ | 従僧 | ||
アイ | 篠原の里人 |
・あらすじ
僧が、加賀篠原で説法をしていると、一人の老人が毎日説法を聴きに現れる。しかし、その姿は僧にしか見えていない。僧が老人に名を尋ねると、自分は実盛の亡霊であると打ち明けて、
姿を消す。僧は、里人から実盛の討死の話を聞き、実盛の亡霊であると確信する。
(中入り)
(篠原の合戦で)実盛が討死した後、実盛の首が洗われた池で、僧が実盛の為に、一晩中念仏を唱えていると、老武者姿の実盛が現れた。実盛は、墨で染めた髪が洗われて白髪に戻った話や、錦の直垂(ひたたれ。金糸銀糸で模様が織られた織物。大将が鎧の下に着る)を着て出陣した話、手塚光盛に討ち取られた話(これらは、篠原の合戦での出来事)などを物語り、最後に弔って欲しいと頼んで消え去る。
物語の背景
篠原の合戦
倶利伽羅の戦いで大敗した平家軍は、篠原の地で陣を立て直そうとしたものの、木曽義仲(源)軍の勢いを止めることはできず、平家軍はふたたび敗れ去るが、この時、一騎だけ踏みとどまって戦ったのが斎藤別当実盛だった。
実盛はかつては源氏に属し、源義賢(木曽義仲(源義仲)の父)が討たれた後、2歳の義仲を木曽へ送った。義仲にとって、実盛は命の恩人である。このことを隠し、実盛は、平家の武将として、篠原の合戦を最後の戦と心に決め、大将だけが着ることのできる錦の直垂を身に着け、さらに老いを隠すために白髪を墨で黒く染めて戦った。しかし、源氏軍の従軍であった手塚光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げた。
首実検(討ち取った敵の首を持ち帰り、首の主を大将や面識者が確かめること)のため、実盛の首を池で洗い流すと、墨が落ち、白髪姿に戻った。この時初めて、義仲は恩人である実盛であるとわかり、涙したと伝えられている。
参考:能・狂言事典
マンガ能百番
謡曲大観