実盛

7月21日 日曜日 
13時始 梅若能楽学院会館
梅若会定式能にて 
能「実盛」を勤めさせて頂きます。

実盛という人は、我々の知る源平合戦の主要な位置に常に居た方です。源義朝、平清盛に仕え、平維盛の後見役として、頼朝や義仲追伐の兵に参加。元々は源氏に属し、義仲の父が討たれた後、義仲を木曽へ送った義仲の恩人でもあります。

世阿弥作のこの能は、時宗の遊行十四世太空上人が布教していると、白髪の老人が現れ、上人から十念を授かると群衆の中に消えたという話が京に流れ、これを元に、世阿弥が能に仕立てたと言われているそうです。

前場は、遊行商人が布教をしていると、一人の老人が毎日説法を聞きに来るので、名を尋ねると、自分は実盛の亡霊であると言って消える。

後場は 義仲討伐の篠原の戦いを、自分の最期の戦と決め出陣し奮闘するが、最後は義仲方の手塚太郎光盛に敗れ、首を取られる。

シテの語りの中で、この実盛は、武将の出立(錦の直垂 萌黄縅の鎧 黄金造りの太刀)なのに、続く勢も無く、名のれと言っても名乗らなかったが、声は坂東声(訛り)であった。義仲は、これを聞き咄嗟に実盛では?と思い、樋口次郎に首を見せると、一目見て「実盛だ」と涙を流す。しかし、何故髪が黒いのかとの問に、六十も過ぎて戦に出て、老人と見られても口惜しい。だから戦の時は髪を染めていくと。

義仲は首を洗わせます。すると墨が流れ、白髪の実盛の首があらわになり、自分の恩人である人を討ち取ってしまった自責の念に、義仲は泣き崩れます。

忠義に厚く、無骨に生涯を全うした実盛は、名バイプレーヤーなのかもしれません。老武者の能の曲は二曲有り、もう一曲は「頼政」です。
しかし使用する面も、頼政の面は、顔つきが老人ぽくない。実盛の面は、尉面を用います。

前場は、尉髪に面むき出しの完全な尉姿。しかし、後場になると、烏帽子に白垂、白鉢巻の出で立ちで、ガラッと風貌が変わります。これぞ老武者という姿に変貌します。老人の歩みと、それに見合った謡、動き。動けるうちに、動かないものを勉強させて頂くために、お許しを得て、勤めさせて頂きます。

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